はじめに:$dx$とは何か・ナブラとは何か

前提知識

本書は、以下の基本事項に馴染みがあれば、十分に読み進めることができます。

行列式を既に知っている必要はありません。途中で一緒に発見しましょう。

高校生でも読みこなせる、と言うと頑張ってもらう必要がありますが、少なくとも20歳の頃の筆者であれば通読できる、つもりで書きました。

$dx$とは何か

積分記号の最後には、いつも $dx$ が付いています。高校数学では、これは「$x$ で積分する」という印のように扱われます。 また、 $\frac{dy}{dx}$ は割り算ではないと習うものの、あたかも割り算のように置換積分を行うことが、事実上許容されています。

大学一年生の教養の微積分では、全微分 $dx$ として登場しますが、実際のところこれが何なのかは深入りしないことが多いように思います。

さらに、特に物理学や工学系の専門課程では、当然のように微小量 $dx$ や $\delta x$ という実体が操作されます。

筆者の個人的な経験では、大学院一年生(M1)の頃に、数学系の友人に聞いたところ、「$dx$ は接ベクトル空間に対する線形汎関数、あるいは余接空間の元」と、分かるような分からないような説明をされた覚えがあります。

さて、結局 $dx$ とは何でしょうか。進んだ専門課程でないと、深入りしないか、微小量として理解するしかないのでしょうか。

もちろん、数学的により進んだ説明をすれば、先の大学院時代の友人の説明が圧倒的に正しく、そのように理解できたほうがよいです。しかし、難しい。

そこで本書は、本当に高校生にその理解へたどり着いてもらうにはどうすればいいかを考えてみました。そのために、少なくとも筆者が高校時代にすでに訓練されていた行列代数を足がかりとして使います。

すなわち、本書ではまず、$dx$ を「変位ベクトルから $x$ 成分を取り出す測定器」として読みます。行列表現で、象徴的には、

$$ dx=\begin{pmatrix}1&0&0\end{pmatrix} $$

です。

知りたいのは、積分記号の尻尾にある $dx$ が、実際に何をしているのかです。本書では、その働きをまず見える形にします。

$dx$ は変位を食べて $x$ 成分を返す。$dx\wedge dy$ は、二本の変位が張る向き付き面積を測る。$dx\wedge dy\wedge dz$ は、三本の変位が張る向き付き体積を測る。

高校数学の $dx$ と微分形式の $dx$ のあいだに、いきなり抽象語を置くのではなく、まず行列と測定器を置いてみる。これが本書の出発点です。

ナブラとは何か

もう一つ、本書が取り上げたい記号があります。$\nabla$ です。

ベクトル解析を学んでいると、あるところから急にベクトル解析の体系が一連の公式集のように見えてくることがあります。少なくとも筆者の経験ではそうでした。デカルト座標のうちはよくても、円柱座標や球座標に入ると、$r$ や $\sin\theta$ が現れ、どこから来たのか分からない係数を覚えることになります。

たとえば、二次元でいえば

$$ \frac{\partial F_y}{\partial x}-\frac{\partial F_x}{\partial y} \qquad=\qquad \frac{1}{r}\frac{\partial (r F_\theta)}{\partial r}-\frac{1}{r}\frac{\partial F_r}{\partial \theta} $$

が現れます。左辺がデカルト座標、右辺が同じものを極座標で書いたものです。これのどこが「回転」なのか、明日の中間テストを控えた状態で納得するのはなかなか難しいでしょう。

もちろん、この点については物理数学の副読本や、近年の丁寧な書籍でも解説されています。しかし、教科書の体系のなかで、これを発見的に組み立てているものは、筆者の知る限り、和書ではまだ珍しいように思います。

さて、本書では、いきなりナブラから始めません。せっかく $dx$ の行列表現を考えるのですから、これを使います。

その後 $dx$ から、面積とは何か、体積とは何かを考え直します。それから、積分、変数変換、外微分、ホッジスターへ進みます。そのあとで、ようやくナブラに戻ってきます。

明日の中間テストには間に合いませんが、期末テストなら間に合うのではないでしょうか。


本書のロードマップ

本書は全12章で、大きく3つの部に分かれています。

  1. 第I部:$\mathbb{R}^3$ 上の微分形式(第1章〜第4章)
  2. $dx$ を「行列」として定義し直し、面積や体積を測る仕組みを代数的に組み上げ、積分と引き戻しまで進めます。

  3. 第II部:ベクトル解析(第5章〜第9章)
  4. 本書の核心部です。外微分 $d$、計量とホッジ・スター $\ast$、ナブラによるベクトル解析、二つの言語の翻訳、曲線座標での実戦までを扱います。

  5. 第III部:発展と統合(第10章〜第12章)
  6. 電磁気学(マクスウェル方程式)への応用と、多様体や幾何代数(Geometric Algebra)の世界を展望します。