付録:本書で語らなかったもの

本付録は、本書の記述に対して想定される流儀上の相違、理論的限界、または読者からの典型的な指摘を整理したものです。

本書は、一般多様体上の微分形式論を公理的に展開する本ではありません。3次元デカルト空間におけるベクトル解析を、行列表示の微分形式を通して再構成するための教育的な本です。したがって、本書で採用した記法や説明順序は、標準的な数学書の記述と一致しない箇所があります。それらは原則として意図的な選択であり、必要に応じて第11章で標準的理論への接続を示しました。

(本音)

このセクションのタイトルは「本書で語らなかったもの」と穏やかなものにしてみましたが、それは建前です。本音を言えば、これは本書の射程を読まずに投げられる典型的な批判への対応集です。

ただし、そう書いてしまえば、本当に応援したい読者が怖がって逃げ出してしまうでしょう。だから、表向きは穏やかな名前をつけました。

(「私」は怒っている)

筆者は若いころ、本書と同じ方向を向いた一連の SNS 投稿を公開し、立場のある方も含む「数学に詳しい」人々から手ひどく批判されたことがあります。もちろん、当時の草稿には未熟な点が多かったと思います。あれから10年経っても未だにこんな調子の文章を書く筆者の、若かりし時代です。それはもう、「勢いのある」投稿だったに違いありません。だが、そのとき筆者が受け取ったものは、定義を読み、射程を確認し、どう直せばよいかを示す批評というより、専門的な立場から未完成な試みを一方的に裁く態度でした。

それは、SNSのエンゲージメント構造と、人間の群集心理が生み出す、ある種の必然でもあったのでしょう。無料で文章を公開することには、想像以上の消耗が伴うと身をもって知りました。

その構造を理解したうえで、なお筆者はいまでも怒っています。厳密性を掲げながら、相手が何を定義し、どの射程で語っているかを読まない態度は、少なくとも筆者の考える数学的態度ではありません。

それでも、本書に限っては無料公開することに決めました。ある意味では、私的な代償行為でもあります。その上で、本来の読者を守るために——いえ、ごめんなさい、これも少し建前です。私自身の自尊心を守るためにも、精一杯の予防線を張ることにしました。

本書の定義が数学者向けの教科書と異なるように見える箇所があるなら、まず本書内の定義を読んでほしいと思います。そのうえで、本当に矛盾しているのか、単に異なる文脈の記号を持ち込んでいるだけなのかを峻別してほしいのです。その後には遠慮なく、私を今一度、手ひどく批判してほしい。定義を読んだうえで、筆者の間違いを指摘してほしいのです。

(高級な「きはじ」として)

数学書を読み進めるうちに、筆者は抽象的な定義順序の美しさも、その強さも、多少は内面化してしまいました。その結果、本書でやっていることが、ふと高級な「きはじ」にすぎないように見えることがあります。

これについて言葉を尽くせば言い訳に見えるし、黙れば誤解される。何より、自分自身がこのような批判を半ば信じているので、うまく語れません。

それでもなお、便法は必ずしも悪ではありません。便法は専門的な体系を置き換えませんし、それらに従属するだけのものでもありません。三次元の物理数学を、行列表示という手触りのある言葉で扱うための強力な言語にはなりえます。少なくとも具体的なシンボルに対する操作の体系にはなる。

改めて、本書の第一義はやはり、筆者自身の代償行為です。とはいえ、読者が手で動かせる言葉を一つ持って帰ってくれるなら、それは望外の副産物です。

(惑わぬ日は来るか)

三十にして立つなどといいますが、実際にその節目を迎えると、立つどころか未だに式と腹が立つばかりです。オヤジギャグは言うようになってしまいました。


I. 理論的枠組みと厳密性について


II. 手法の選択と適用限界について


III. 物理的定義と教育的配慮について


(イースター・エッグ)

かつて私は、「ブルバキ」という名前に、聞きかじりの憧れを抱いていました。数学に大きな転換をもたらした存在だということです。ならばそこには、既存の数学書とは違う、何か鋭く新しい言葉があるのだろうと思っていました。

ところが実際に読んでみると、そこにあったのは、私にとってはむしろ見慣れた「大学数学の教科書」の顔でした。もちろん、それはブルバキがつまらなかったということではありません。むしろ逆です。かつて新しかった公理的で構造的な書き方は、ブルバキだけによってではないにせよ、現代数学の標準的な文体の一部として深く定着しています。だからこそ、いまの読者にはそれが「普通」に見えるのでしょう。

そして本書は、その「普通」の顔の前で迷子になる読者のために書かれています。