第11章:曲がった空間へ —— 本書の先にあるもの
§11.0 この章の立ち位置 —— さらに先を見たい読者のための道標
本書『ナブラ解体新書』の目的は、$\nabla$ を $d$ と $\ast$ に解体し、ベクトル解析の公式群を見通しよく再構築することだった。第8章・第9章でその目的は達成されている。第10章は「おまけ」として、この枠組みがマクスウェル方程式をいかに簡潔に記述するかを見た。
本章は、そのさらに先——本書を読み終えて「この $d$ と $\ast$ という道具は、もっと広い世界でどう使えるのか」と興味を持った読者のための道標である。完結した説明はしない。専門書への橋渡しとして、何がどう変わり、何が変わらないかの見取り図だけを示す。それからもう一つ——本章では、これまで筆者が意図的に避けてきた数学書的な言い回しを、特に読者に配慮せず、定義もせずに遠慮なく使う。まだまだ世界は広いのだ、ということを感じてほしい。
注 (建前と本音)
「さらに先を見たい読者のための道標」というのは、一応の建前である。
本音を言えば、詳しい読者に「こいつは抽象数学を分かっていないな」と思われてしまうことへの、著者なりの先回りした回答でもある。
だが同時に、厳密な抽象論をそのまま最初から並べても、初心者の手には負えないだろうという確信もある。
本章はそのような「理解のステップ」としての妥協と、標準的な数学への敬意が混ざった場所である。
注 (筆者にとっての楽な章)
本章では、比喩の吟味や、厳密さと分かりやすさのバランス、情報量の配分を考える必要がない。
読者の認知負荷も、ここではあまり気にしなくてよい。
そのうえ論理の流れが明快なので、非常に書きやすかった。
——ブルバキスタイルの論理的堅牢さに、まったくもって敬意を表する。
注 (本書の意外な帰結)
本書の直接的な目的は、ベクトル解析を行列形式で書き直し、$d$ と $\ast$ の辞書によって見通しよく再構築することだった。
しかし振り返ってみると、本書は実質的に「成分を直接扱う」という点で、副次的にテンソル解析を行っていたのかもしれない。
テンソル解析の弱点は、計算の過程で $k$-form としての幾何学的な「型」の直感が失われがちなことにある。
本書が行列表示を採用したのは、逆にその型——次数、反対称性、横ベクトルと縦ベクトルの区別——を視覚的に保ちながら、成分計算を可能にするためだった。
つまり本書は、「微分形式の幾何学的直感」と「テンソル解析の計算力」の両方を手に入れるための、中間的なアプローチだった、と言えるかもしれない。
——ただし、どちらの伝統から見ても中途半端な側面は否めないことも認めざるを得ない。
§11.1 多様体 —— $\mathbf{g}(x)$ から始める
本書では第6章で計量 $\mathbf{g}$ を導入し、第9章で $\mathbf{g}$ から $\ast$ の辞書を作る手順を練習した。第6章のデカルト座標では $\mathbf{g}=I$ という定数行列だったが、第9章の円柱座標や球座標では $\mathbf{g}$ の成分はすでに $r,\rho,\theta$ に依存していた。では、これを座標表示の都合ではなく、空間そのものの各点に与えられた計量 $\mathbf{g}(p)$ として見ると何が起きるか。
$\ast$ の辞書は $\mathbf{g}$ から作られる。$\mathbf{g}$ が場所ごとに変われば、$\ast$ の辞書も場所ごとに変わる。$dx \mapsto \ast(dx) = \cdots\,dy\wedge dz$ という対応表が、空間の各点で異なる係数を持つようになるのだ。
この「各点で計量 $\mathbf{g}(p)$ を持ち、その計量から各点の $\ast$ を作る」という見方は、リーマン多様体へ進むための最初の模型である。平たい $\mathbb{R}^3$ では $\mathbf{g}$ が単位行列だったから $\ast$ の辞書は至って単純だった。一般の座標表示では、$\mathbf{g}$ はもはや単位行列とは限らず、場所の関数として現れる。それでも $\mathbf{g}$ から $\ast$ の辞書を書き下す手順そのものは、第9章でやったのと同じだ——ただ毎回、各点で辞書を引き直す必要があるだけである。
注 (計量の場所依存と曲率の関係)計量成分 $g_{ij}(x)$ が場所に依存すること自体は、ただちに空間が曲がっていることを意味しない。ユークリッド空間を曲線座標(極座標・球座標など)で書けば、平坦な空間でも $g_{ij}(x)$ は場所に依存する。曲がっているかどうかは、計量成分そのものや特定の座標での接続係数 $\Gamma^i_{jk}$ の見た目ではなく、そこから構成される曲率テンソル $R^i{}_{mjk}$ が消えるかどうかで判定される。
この「場所ごとに座標や計量を扱う」世界を数学的に整理する枠組みが多様体(manifold)である。多様体そのものは、まず局所的に $\mathbb{R}^n$ と見なせる滑らかな空間として定義される。その上に、各点の接空間に非退化な対称双線形形式 $g_p$ を滑らかに与えたものが計量付き多様体であり、特に $g_p$ が正定値ならリーマン多様体、ローレンツ符号ならローレンツ多様体になる。
注 (「曲がった時空」という言葉について)一般相対性理論の解説では「時空が曲がる」と表現される。個人的なこだわりではあるが、筆者はこの言い回しがあまり好きではない。というのも、任意の一点では局所慣性系を選び、その点で計量をミンコフスキー計量にし、接続係数を消すことができるが、曲率は一般には消えず、有限の近傍全体が平坦になるわけではないからである。曲率は、まさにその局所慣性系を二階以上で貼り合わせるときのずれとして現れる。つまり、単体の「曲がったゴム膜」のようなお絵かきだけでは不十分で、むしろ「計量と接続を通じて、異なる点の接空間をどう比べるかが問題になる」と捉えたほうが正確だと感じている。とはいえこれは筆者が偏屈なのであり、素直に「曲がっている」と考えたほうが直感的だろう。
11.1.1 定義 —— チャートとアトラス
$n$ 次元位相多様体 $M$ とは、ハウスドルフかつ第二可算公理を満たす位相空間であって、任意の点 $p \in M$ に対し、$p$ を含む開集合 $U \subset M$ と、$U$ から $\mathbb{R}^n$ の開集合への同相写像 $\varphi: U \to \varphi(U) \subset \mathbb{R}^n$ が存在するものである。この組 $(U, \varphi)$ をチャート(座標近傍)と呼ぶ。$\varphi(p) = (x^1(p), \dots, x^n(p))$ と書いたとき、$x^i$ を局所座標という。
$M$ を覆うチャートの族 $\{(U_\alpha, \varphi_\alpha)\}$ であって、任意の重なるチャート対に対して座標変換
$$\varphi_\beta \circ \varphi_\alpha^{-1}: \varphi_\alpha(U_\alpha \cap U_\beta) \to \varphi_\beta(U_\alpha \cap U_\beta)$$が $C^\infty$ 級であるとき、これを滑らかなアトラスと呼び、$M$ は滑らかな多様体($C^\infty$ 多様体) になる。座標変換が滑らかであること——この一点が、多様体上で微積分を可能にする根幹である。
本書がこれまで舞台としてきた $\mathbb{R}^3$ は、恒等写像 $\mathrm{id}: \mathbb{R}^3 \to \mathbb{R}^3$ という一枚のチャートで全体を覆える、最も自明な多様体の例だ。
よく知られた別の例として、$n$ 次元球面 $S^n = \{x \in \mathbb{R}^{n+1} \mid \|x\| = 1\}$ がある。$S^n$ は一枚のチャートでは覆えないが、北極と南極を除いた二枚のチャート(立体射影)でアトラスが構成できる。一般相対性理論の時空はローレンツ多様体——計量の符号が $(-,+,+,+)$ である4次元多様体——として定式化される。
11.1.2 接空間 —— 「曲がった空間での微分」の定義
$\mathbb{R}^n$ では「ベクトル」を「原点から伸びる矢印」として素朴に定義できた。多様体上ではそうはいかない。球面の表面に矢印を描こうとしても、矢印は曲面からはみ出してしまう。
接空間の構成には二つの同値な方法がある。
曲線の同値類による定義。 $p$ を通る滑らかな曲線 $\gamma: (-\varepsilon, \varepsilon) \to M$($\gamma(0)=p$)に対し、チャート $(U, \varphi)$ を一つ選び、$\mathbb{R}^n$ における速度ベクトル $(\varphi \circ \gamma)'(0)$ を計算する。別のチャート $(V, \psi)$ を選んでも、$(\psi \circ \gamma)'(0) = D(\psi \circ \varphi^{-1})_{\varphi(p)} \cdot (\varphi \circ \gamma)'(0)$ とヤコビ行列で変換されるから、ある一つのチャートで速度ベクトルが一致すれば、座標変換の微分により任意のチャートでも一致する。したがって、この一致関係はチャートの選び方に依存せず、接ベクトルの同値類を定める。この同値類 $[\gamma]$ が $p$ における接ベクトルである。
方向微分(derivation)による定義。 接ベクトル $v \in T_p M$ を、$p$ の近傍の滑らかな関数 $f$ に実数 $v(f)$ を対応させる線形写像であって、ライプニッツ則 $v(fg) = v(f)\,g(p) + f(p)\,v(g)$ を満たすものとして定義する。この定義はチャートに依存しない内在的なものであり、代数幾何などへの一般化にも耐える。チャート $(U, \varphi)$ と局所座標 $x^i$ が与えられれば、
$$\left.\frac{\partial}{\partial x^i}\right|_p (f) = \left.\frac{\partial (f \circ \varphi^{-1})}{\partial x^i}\right|_{\varphi(p)}$$が $T_p M$ の基底をなす。$\dim T_p M = \dim M = n$ である。
二つのベクトル場 $X, Y$ が与えられたとき、そのリー括弧(Lie bracket) $[X, Y] = XY - YX$ は再びベクトル場になる。$[X,Y]^i = \sum_j (X^j \partial_j Y^i - Y^j \partial_j X^i)$ であり、本書では陽に扱わなかったが、フロベニウスの定理(接分布、distribution の積分可能性)やリー群論の根幹をなす演算である。
すべての点における接空間の非交和が接束 $TM = \bigsqcup_{p \in M} T_p M$ である。$TM$ 自身も $2n$ 次元の多様体になる。$M$ 上のベクトル場 $X$ とは、各点 $p \in M$ に接ベクトル $X_p \in T_p M$ を滑らかに割り当てる写像、すなわち接束の切断 $X: M \to TM$ にほかならない。
座標変換と基底の変換則にも触れておく。二つのチャート $(U, x^i)$ と $(V, y^j)$ が重なっているとき、接空間の基底は
$$\frac{\partial}{\partial y^j} = \sum_i \frac{\partial x^i}{\partial y^j}\,\frac{\partial}{\partial x^i}$$と変換される。この変換行列 $\partial x^i/\partial y^j$ は、本書第4章で座標変換のヤコビ行列として繰り返し登場したものだ。接ベクトルの成分はこのヤコビ行列の逆行列で変換される(反変ベクトル)。これに対し、1-form の成分はヤコビ行列そのもので変換される(共変ベクトル)。この「反変」と「共変」の区別——本書ではベクトルが「縦」、1-form が「横」として視覚化されてきた——が、多様体論におけるテンソル解析の出発点である。
11.1.3 微分形式 —— 余接束とテンソル場
接空間 $T_p M$ の双対空間を余接空間 $T_p^* M$ と呼ぶ。$\omega_p \in T_p^* M$ は接ベクトルを食べて実数を返す線形写像 $\omega_p: T_p M \to \mathbb{R}$、すなわち1-formである。本書第1章で $dx$ を「変位ベクトルから $x$ 成分を抽出する横ベクトル」と定義したのは、まさにこの双対性の具現化だった。
注(本編との対応) これは、第1章で $dx=\begin{pmatrix}1&0&0\end{pmatrix}$ と書いた約束を、標準デカルト座標における余接基底 $dx^1|_p$ の成分表示として言い直したものである。第1章では点 $p$ への依存を抑えて書いたが、多様体論では各点の余接空間 $T_p^* M$ に属する対象として扱う。
局所座標 $x^i$ に対し、$dx^i|_p \in T_p^* M$ を $dx^i|_p(\partial/\partial x^j|_p) = \delta^i_j$ で定めると、$\{dx^i|_p\}$ は $T_p^* M$ の $\{\partial/\partial x^i|_p\}$ に対する双対基底になる。任意の1-form $\omega$ は局所的に $\omega = \sum_i \omega_i\,dx^i$ と展開できる。
これを $k$ 重に拡張したものが $k$-form である。多様体上の $k$-form とは、各点 $p$ に $\Lambda^k T_p^* M$ の元を滑らかに割り当てる切断である。つまり、各点では $k$ 個の接ベクトルを引数にとる交代多重線形写像
$$\omega_p: \underbrace{T_p M \times \cdots \times T_p M}_{k\ \text{個}} \to \mathbb{R}$$であり、その成分が局所座標で滑らかに変化するものをいう。ウェッジ積 $\wedge$ は、二つの形式の引数を「すべての順列にわたって符号付きで和をとる」操作として定義される。本書第2章で反対称行列の成分計算として導入したウェッジ積が、この抽象的な定義のもとで自然に再現される。
引き戻し(pullback)も多様体間の写像へと一般化される。滑らかな写像 $f: M \to N$ に対し、$N$ 上の $k$-form $\omega$ の引き戻し $f^*\omega$ は $M$ 上の $k$-form であり、
$$(f^*\omega)_p(v_1, \dots, v_k) = \omega_{f(p)}(df_p(v_1), \dots, df_p(v_k))$$で定義される。$df_p: T_p M \to T_{f(p)} N$ は $f$ の微分(接写像)である。本書第4章で座標変換のヤコビアンとして計算した引き戻しは、この一般公式において $f$ をチャート間の座標変換とし、局所座標で成分表示したものに一致する。
本書が一貫して使ってきた「$dx$ は横ベクトル」という記法は、実は多様体論の標準言語では $dx^i$ たちが余接空間の基底であるという事実にほかならない。$\omega = \sum_i \omega_i\,dx^i$ と書いたとき、係数 $\omega_i$ は本書の言葉では「横ベクトルの第 $i$ 成分」であり、多様体論の言葉では「1-form の局所座標に関する成分」である。$\omega(v) = \sum_i \omega_i\,dx^i(v) = \sum_i \omega_i v^i$ という計算は、本書第1章の行列の積 $\begin{pmatrix}\omega_1&\omega_2&\omega_3\end{pmatrix}\begin{pmatrix}v^1\\v^2\\v^3\end{pmatrix}$ に完全に対応する。
この双対性は高次の形式にも拡張される。本書第2章で $k$-form を行列($k=1$ では横ベクトル、$k=2$ では反対称行列、$k=3$ では反対称3階テンソル)で表示したのは、交代多重線形写像としての $k$-form の成分表示にほかならない。付録Eで $4\times4\times4$ のスライス行列を扱ったとき、我々はすでに多様体上の3-form の成分計算を実践していたのだ。
11.1.4 外微分 $d$ —— 多様体上で変わらないもの
外微分 $d$ は、多様体上で計量を一切使わずに定義できる数少ない微分演算子の一つである。$k$-form $\omega$ に対し、$d\omega$ は $(k+1)$-form であり、その定義は本書第5章で偏微分とウェッジ積の組み合わせとして学んだものと完全に一致する。
外微分 $d$ は、$\Omega^k(M)$ から $\Omega^{k+1}(M)$ への線形作用素であり、関数に対して通常の全微分を与え、次数付きライプニッツ則を満たし、局所座標では偏微分とウェッジ積によって与えられる。この作用素について $d^2 = 0$ が成り立つ。計量はどこにも登場しない。曲がっていようがいまいが、$d$ は本書で慣れ親しんだ計算規則をそのまま使える。
この普遍性こそが微分形式の最大の武器であり、ストークスの定理
$$\int_M d\omega = \int_{\partial M} \omega$$が向き付けられた $n$ 次元多様体 $M$ と、適切な滑らかさ・台条件を満たす $(n-1)$-form に対して成立する根拠でもある。本書第8章で「統一ストークスの定理」として出会ったものは、この一般公式の特別な場合($M \subset \mathbb{R}^3$, $n \le 3$)だった。
11.1.5 計量とホッジ・スター —— 場所ごとに変わるもの
$d$ が普遍的であるのに対し、$\ast$ はそうではない。リーマン計量 $g$ とは、各点 $p \in M$ において接空間 $T_p M$ 上の正定値内積 $g_p: T_p M \times T_p M \to \mathbb{R}$ を滑らかに与える2階の共変テンソル場である。局所座標では
$$g = \sum_i\sum_j g_{ij}(x)\,dx^i \otimes dx^j$$と書け、$g_{ij}(x)$ は場所の関数である。本書では $g_{ij}$ を成分とする行列を $\mathbf{g}$ と書いてきた。$\mathbb{R}^3$ のデカルト座標では $\mathbf{g}$ は単位行列、ミンコフスキー時空では対角成分が $(-1,1,1,1)$ の定数行列だが、一般の多様体では $\mathbf{g}(x)$ は場所ごとに異なる。
向き付けられたリーマン多様体では、計量から体積形式 $\mathrm{vol}_g = \sqrt{\det g}\;dx^1 \wedge \cdots \wedge dx^n$(擬リーマン計量では規約に応じて $\sqrt{|\det g|}$ が現れる)が定まり、これを用いてホッジ・スター作用素
$$\ast: \Omega^k(M) \to \Omega^{n-k}(M)$$が定義される。$\ast$ の定義式 $\omega \wedge \ast\eta = \langle\omega,\eta\rangle_g\,\mathrm{vol}_g$ には明示的に $g$ が入っている。$\mathbf{g}(x)$ が場所の関数なら、$\ast$ の辞書も場所ごとに異なる——本書第9章で練習した「$\mathbf{g} \to \ast$ 辞書」の手順を、各点で繰り返す必要がある。擬リーマン計量の場合も同様の構成は可能だが、符号規約に注意が必要である。
この $d$ と $\ast$ の非対称性——$d$ は普遍的、$\ast$ は計量依存——こそが、Burke の「計量遅延」が最終的に照射する構造である。一般相対性理論では、計量 $g$ そのものがアインシュタイン方程式の解として動的に決まる。電磁場の方程式 $dF = 0$, $d(\ast F) = \mu_0(\ast\mathcal{J})$ は、時空計量から定まる $\ast$ と適切な電流形式を用いれば、曲がった時空上でも同じ形で書ける。
11.1.6 積分 —— 1の分割と向き付け可能性
多様体上の積分もまた、本書のリーマン和の延長線上にある。$\mathbb{R}^n$ では、$n$-form $\omega = f\,dx^1 \wedge \cdots \wedge dx^n$ の積分を素朴に $\int f\,dx^1 \cdots dx^n$ と定義できた。多様体上で $n$-form を積分するには、チャートごとに局所積分を計算し、それらを貼り合わせる必要がある。この貼り合わせを可能にするのが1の分割(partition of unity)——多様体を被覆するチャート族に付随する、足して1になる滑らかな関数の族——である。
また、多様体上で $n$-form の積分が座標の取り方に依存しないためには、多様体が向き付け可能(orientable)でなければならない。本書で一貫して右手系 $(x,y,z)$ を仮定してきたのは、$\mathbb{R}^3$ に向きを固定していたことに相当する。メビウスの帯のように向き付け不能な多様体では、大域的な体積形式が定義できない。
こうして多様体上の積分論が整備されると、適切な滑らかさ・台条件のもとで、ストークスの定理 $\int_M d\omega = \int_{\partial M} \omega$ は向き付けられた $n$ 次元多様体とその上の $(n-1)$-form に対して成立する。本書の旅が到達した統一ストークスの定理は、この一般的枠組みの $n \le 3$ への適用だったのだ。
11.1.7 接続と曲率 —— 一言だけ
多様体上でベクトル場を「平行移動」するための追加構造が接続(connection)、あるいは共変微分 $\nabla$ である。接続が与えられると、曲がり具合を測る曲率テンソル $R$ が定義される。一般相対性理論では、レヴィ=チヴィタ接続(計量と整合的で捩れのない唯一の接続)から得られる曲率が、時空の重力を記述する。
微分形式の言葉では、曲率は曲率2-form $\Omega$ として表され、ビアンキ恒等式 $D\Omega = 0$(外共変微分で $\Omega$ が閉じている)といった構造が現れる。この先は、Flanders や Burke の専門書に譲る。
11.1.8 本書との対応
本書の概念が多様体論のどこに対応するかを一覧にしておく。
| 本書 | 多様体論 |
|---|---|
| $dx$ は横ベクトル(第1章) | $dx^i$ は余接空間 $T_p^*M$ の基底 |
| $dx(v) = v_x$(第1章) | 1-form と接ベクトルの双対ペアリング $\langle\omega, v\rangle$ |
| ウェッジ積の反対称行列表示(第2章) | 交代多重線形写像としての $k$-form の成分表示 |
| 引き戻し=測定器の焼き直し(第4章) | 滑らかな写像による $k$-form の引き戻し $f^*\omega$ |
| $d$ の偏微分+ウェッジ積(第5章) | 外微分 $d$(多様体上で計量不要) |
| $\mathbf{g} = J^T J$(第6章) | ユークリッド空間内の座標変換・埋め込みから誘導される計量の具体例 |
| $\ast$ の辞書(第6章、第9章) | ホッジ・スター $\ast: \Omega^k(M) \to \Omega^{n-k}(M)$(計量依存) |
| 統一ストークスの定理(第8章) | $\int_M d\omega = \int_{\partial M} \omega$(一般次元) |
| $dF=0$, $d(\ast F)=\mu_0(\ast\mathcal{J})$(第10章) | 曲がった時空上でも、時空計量から定まる $\ast$ と適切な電流形式を用いれば同じ形で書ける |
| 付録Eの $4\times4\times4$ スライス(第10章) | 4次元多様体上の 3-form の成分計算 |
§11.2 リーマン幾何学 —— テンソル解析のスタイル
多様体論が「幾何学的対象を座標に依存せずに定義する」ことを目指すのに対し、古典的なリーマン幾何学——アインシュタインの一般相対性理論で使われるテンソル解析——は「座標を選び、成分の変換則を正面から扱う」スタイルをとる。本書が行列の成分を明示してきた流儀に近いのは、むしろこちらである。
11.2.1 テンソル —— 変換則による定義
古典的なテンソル解析では、テンソルを「座標変換に対する変換規則」で定義する。座標 $x^i$ から $\bar{x}^i$ への変換に対して、
反変ベクトル $V^i$ は $\bar{V}^i = \sum_j \frac{\partial \bar{x}^i}{\partial x^j} V^j$ と変換され、 共変ベクトル $\omega_i$ は $\bar{\omega}_i = \sum_j \frac{\partial x^j}{\partial \bar{x}^i} \omega_j$ と変換される。
この区別は本書第4章で既に出会っている。変位ベクトル $\mathbf{v}$ の成分 $v^i$ は反変(ヤコビ行列の逆行列で変換)、1-form $\omega$ の係数 $\omega_i$ は共変(ヤコビ行列で変換)だった。一般の $(r,s)$-テンソル $T^{i_1\cdots i_r}_{j_1\cdots j_s}$ は、$r$ 個の反変添字と $s$ 個の共変添字を持ち、添字ごとに上記の変換則を適用する。
本書で計量を表す行列 $\mathbf{g}$ の成分 $g_{ij}$ は $(0,2)$-テンソル(二階共変テンソル)である。座標変換に対して $g_{ij}$ は
$$\bar{g}_{ij} = \sum_{p,q} \frac{\partial x^p}{\partial \bar{x}^i} \frac{\partial x^q}{\partial \bar{x}^j}\,g_{pq}$$と変換される。本書第6章で導出した $\mathbf{g} = J^T J$ という関係式は、デカルト座標で $g_{ij} = \delta_{ij}$ であるときに曲線座標での $\bar{g}_{ij}$ を計算する公式にほかならない。一般のリーマン計量は、必ずしも一つの座標変換のヤコビ行列 $J$ から $J^T J$ として得られるわけではない。第6章の $J^T J$ は、あくまでユークリッド空間内で誘導計量を計算する最も具体的な例である。
11.2.2 クリストッフェル記号 —— 微分がテンソルでなくなる問題
ベクトル場 $V^i$ の偏微分 $\partial_j V^i$ は、そのままではテンソルとして振る舞わない。座標変換すると余分な項が現れてしまう。計量 $g$ と整合的で捩れのないレヴィ=チヴィタ接続を選ぶと、その接続係数、すなわちクリストッフェル記号(Christoffel symbols)は
$$\Gamma^i_{jk} = \frac{1}{2}\sum_m g^{im}(\partial_j g_{km} + \partial_k g_{jm} - \partial_m g_{jk})$$で与えられる。ここで $g^{im}$ は $g_{ij}$ の逆行列の成分である。本書の用語では、$\Gamma^i_{jk}$ は「その座標表示において、基底の変化や計量の変化を補正する係数」であり、一般には $g_{ij}$ の一階微分を含む。
クリストッフェル記号を用いて共変微分
$$\nabla_j V^i = \partial_j V^i + \sum_k \Gamma^i_{jk} V^k$$を定義すると、$\nabla_j V^i$ は $(1,1)$-テンソルとして正しく変換される。共変微分こそが、曲がった空間における「まっすぐ」を定義する道具である。接続の概念(§11.1.7)の成分表示が $\Gamma^i_{jk}$ にほかならない。
本書の経験で言い換えよう。第9章では、円柱座標や球座標の $\mathbf{g}$ から $\mathrm{div}$ や $\mathrm{rot}$ の公式を導出した。第9章の $\ast$ 辞書による導出は、クリストッフェル記号を明示的に計算する方法とは異なる。むしろ、$d$ と $\ast$ を使うことで、$\Gamma^i_{jk}$ を表に出さずに同じ座標公式へ到達していた、と言うべきである。テンソル解析で同じ公式を導けば、そこには共変微分とクリストッフェル記号が現れる。リーマン幾何学を学ぶとは、同じ座標公式を、接続係数 $\Gamma^i_{jk}$ と曲率テンソル $R^i_{\,mjk}$ の側から見直すことである。
11.2.3 リーマン曲率テンソル
共変微分の非可換性が、空間の曲がり具合を定量化する。ベクトル場 $V^i$ に対して
$$(\nabla_j \nabla_k - \nabla_k \nabla_j) V^i = \sum_m R^i_{\,mjk} V^m$$として定義される。クリストッフェル記号で具体的に書き下せば、$R^i_{\,mjk}$ は $\Gamma$ の一階微分と $\Gamma\Gamma$ の組み合わせで表される。具体的な添字順序と符号は文献の規約に依存するが、いずれにせよ $\mathbf{g}$ が定数行列なら $\Gamma$ はすべてゼロであり、$R^i_{\,mjk} = 0$ ——空間は平坦である。
注 (座標依存計量と曲率)$\mathbf{g}(x)$ が場所に依存すること自体は、曲率が非ゼロであることを意味しない。ユークリッド空間を曲線座標(極座標・球座標など)で書けば、$g_{ij}(x)$ は場所に依存しても曲率はゼロである。曲率が非ゼロになるのは、$\Gamma$ とその微分から構成される $R^i_{\,mjk}$ が消えない場合である。
曲率テンソルは $n^4$ 個の成分を持つが、多数の対称性により独立な成分ははるかに少ない。全共変曲率テンソルを $R_{abcd}$ と書くと、代表的な規約では
$$R_{abcd}=-R_{bacd},\qquad R_{abcd}=-R_{abdc},\qquad R_{abcd}=R_{cdab}$$といった対称性を持つ。さらに第一ビアンキ恒等式も成り立つ。これにより、4次元では独立成分は20個になる。
注(曲率テンソルの符号と添字順序)
曲率テンソルの符号と添字順序には複数の規約がある。本項では一つの代表的な規約を示したが、他の文献では添字の順序や符号が異なる場合がある。
$$ \nabla_i R_{mjkl}+\nabla_j R_{mkil}+\nabla_k R_{mijl}=0 $$この恒等式は、外微分の $d^2=0$ と同じ「二度境界を取ると消える」型の構造を思わせるが、厳密には接続を含む外共変微分 $D$ に関する恒等式であり、単なる $d^2=0$ ではない。
リッチテンソルは曲率テンソルの一組の添字を縮約して得られる。縮約の具体的な位置や符号は曲率テンソルの規約に依存する。ここでは詳細な規約の固定には立ち入らない。これとスカラー曲率 $R = \sum_i\sum_j g^{ij} \mathrm{Ric}_{ij}$ が、アインシュタイン方程式の左辺を構成する。方程式は
$$R_{ij} - \frac{1}{2}R\,g_{ij} = \frac{8\pi G}{c^4}\,T_{ij}$$である。左辺が時空の幾何(曲率)、右辺が物質のエネルギー運動量テンソル $T_{ij}$ を表す。
注 (アインシュタイン方程式の符号規約と宇宙項)この式は一つの符号規約と宇宙項 $\Lambda = 0$ を選んだ結果である。符号規約(計量の符号、座標系、曲率テンソルの定義)によって式の形は変わり、宇宙項を含む拡張もある。本書では導出も証明もしないが、読者が他の文献を読むときの注意喚起として記す。
本書はこの式を導出しないし、読者に理解を求めもしない。ただ、この式の背後にある土台——多様体、計量、共変微分、曲率——は、本書で扱った $d$ と $\ast$ だけでは尽くせない。むしろ、第11章で初めて現れた接続 $\nabla$ が不可欠である。それでも、微分形式による見方は、これらの構造へ進むための有力な入口になる。
11.2.4 二つのスタイル —— 本書との関係
微分形式による記述と、添字を用いたテンソル解析による記述は、どちらもテンソル場を扱うための言語である。前者は反対称テンソルと外微分を前面に出し、後者は成分と変換則を前面に出す。
本書は一貫して成分を明示するスタイル——行列、添字なしの偏微分、ウェッジ積の展開——をとってきた。この意味で、本書の自然な延長は微分形式の抽象論よりもむしろ、テンソル解析の具体的計算にある。すでに第9章で曲線座標の $\ast$ 辞書を引いたとき、我々は $\Gamma^i_{jk}$ を明示せずに $\mathrm{rot}$ や $\mathrm{div}$ の座標公式へ到達した。テンソル解析で同じ公式を導くなら、その背後には $g_{ij}$、接続係数 $\Gamma^i_{jk}$、共変微分の世界が現れる。その先にリーマン幾何学の全容がある。
§11.3 その先へ
本書はここで終わりである。第1章から積み上げてきた $d$ と $\ast$ の枠組みは、ベクトル解析の解体という当初の目的を果たした。
ただ、ここまで来ると趣味の領域だが——別の流派の姿を少しだけ覗いてみよう。
現代数理物理には、我々が苦労して分離した外積($\wedge$)と内積(計量)を、最初から「幾何積」として一つの代数に統合する幾何代数(Geometric Algebra) という世界がある。$d$ と $\ast$ という二つの道具も、そこではより根源的な演算子に吸収される。分離の苦しみを知った者だけが、統合の凄みを味わえる——それだけを伝えて、本書を閉じることにする。